One More Awakeners

【更新終了しました】心+身体+魂の好ましい統一を得るべく自己探求を続けてきた、ある男の記録です。
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(第243話)PARTNERS - ワタシが最近ハマるもの、その後
(第237話)骨と英雄−ワタシが最近ハマるもの(前編)
(第238話)四六時中−ワタシが最近ハマるもの(後編)

これの続編です。

ふとテレビで再放送されていたものを観てですね、連休中からハマっているのが、

相棒 (テレ朝公式サイトWikipedia

いやぁ....これまた世間の流行りからすれば「何を今さら」ではありますが、そのハマり具合といったらもう「24」並みかそれ以上。連休中に「劇場版」を観に行ったのをきっかけに、レンタルされている分の大半を観終えてしまったぐらいですから。

「相棒」は、昨年来ハマってきたドラマのうち、「24」「BONES」に通じるものがあります。
もちろん同じ「勧善懲悪もの(刑事ものとは書きづらい)」であることもそうですが、

・主人公が決して完璧ではない
・主人公(のうち一人)は、世間とのつきあいが下手である
・脇役もしっかりキャラが立っている

といった部分も似ています(そういう意味では「HEROES」もそうなのかも)。

しかし、一番重要であり、かつ、私自身と共通しているのかもしれない点がこれです。

・主人公(のうち一人)は、「真実への渇望」に突き動かされる

「24」ではジャック・バウアー、「BONES」ではテンペランス・ブレナン、そして「相棒」では杉下右京。
普通の人ならば、世間体や保身のために「ほどほど、なあなあ」で済ませておくような状況においても、真実を見極めるまでは諦めようとはしませんし、理と情のどちらを取るかと言われれば(大概の場合は)「理」を取ろうとします。

ただ、主人公のキャラクター設定には違いがあるようで、「24」のジャックは理と情がない交ぜになることがままありますし、「BONES」のブレナンもシーズンのラストの方で理を突き通せなくなってしまうのに対し、唯一「相棒」の右京だけが理をベースにし続けているような気がします(右京の激昂は、理あってのものだと私は思います。右京がジャックのように感情をむき出しにできる日は来るのでしょうか....)。


今の私自身に、「(杉下の)正義は、時に暴走する」と周囲に言わしめるほどの正義感はありませんが、「たとえ自らが傷つくとしても、本当のことが知りたい」という心理的欲求は存在します。
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| つぶやき | 22:35 | comments(0) | -
(第242話)引き寄せるために、手放す
「セドナ」とは、アメリカはアリゾナ州にある街。
詳しくはこちらをご覧いただくとして、スピリチュアルな方々がお住まいになり、訪れる街でもあります。

「セドナメソッド」とは、この手法を作り出した方が、この街・セドナに移り住んだことから名付けられました。
手短にまとめるならば、「自分の中にある感情を手放すことで、心身ともにリラックスし統一された状態を得る」手法のことです。以前ご紹介した「嫌なことは手放してみよう」で取り上げた方法とも通じる....というか、その元になっていたかもしれません。
他にもこのセドナメソッドを取り入れた方は多いらしく、あの「ザ・シークレット」に登場したマスター達の多くが自分でも試し、効果のほどを確かめているとのこと。

具体的に何をすればいいのか。これが実にシンプルでして....、

1)「今、何を感じていますか?」
2)「その感情を認めることはできますか?」
3)「その感情を手放せますか?」
4)「手放しますか?」
5)「いつ?」


感情一つ一つについて、上記5つの自問を繰り返すのです。
これは「基本形」であって、取り上げる感情や状況によって問いかけ方は変わります。

いつまでやればいいかって?
「その感情が軽くなり、消え去るまで」です。

手順そのものは至ってシンプルですが、実際にやってみると案外難しいです。
というのも我々凡人は、「自分の感情を読み取る」ことにあまり慣れていないからです。
さらにいえば、その感情を認めるということは、自分の「イヤな部分、観たくない部分」にも目を向けることを意味するからです。

# なので、「感情を手放す」ことは、「感受性が鈍くなる」こととは違います。
# むしろ逆で、「感情による囚われをなくす」ことで、あらゆる物事をありのままに
# 受け入れられるようになる....「感受性が高くなる」と考えてください。


では、この「セドナメソッド」を使うことで、どのような効果が得られるのでしょう?
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| スピリチュアリティ | 12:25 | comments(1) | -
(第241話)もう、求めたっていいんじゃない?

これは4歳か5歳の頃の写真です。
さんざん親にだだをこねて、その結果、右手に持っているバスのおもちゃを買ってもらったあとに撮ったものでしょう。
子供としては、おねだりが叶ったのですから、さぞうれしかったろうと想像するのですが、この写真をよく観ると....。

あんまり嬉しそうじゃないのです。
むしろ、「ああ、叶っちゃったよどうしよう」と、戸惑いや後味の悪さすら感じているようにみえるのです。

「ああ、やっぱりそうか」と思いました。
というのも、ふとした気づきから思いを巡らせているうちに、この出来事を思い出したのですね。

気づきというのは、こういうものです。

「自分は、何かを求めることそれ自体に罪悪感や恐れを抱きがちで、
 もちろん欲求は欲求で満たしたいと思いながらも、
 積極的に、自分でリスクを取ってそれを満たしにいこうとはしなかった
 それゆえか、欲求が満たされたとしても、心底嬉しかったりしたことはなく、
 むしろ、『これでいいのかなぁ』『悪いなぁ』と戸惑ったりしがちだった


何かをやること。
何かを求めること。
それら自体に罪や恐れを覚えていたのでは、極端な話、生きることすらできなくなりますよね....ああ何という恐ろしい呪縛。

で、自分で罪や恐れを背負いたくない(いわゆる「肯定的意図」は、安心や安全を確保しよう、ということ)ので、他人様にすがってそれを満たそうとするのですね。
自分からは言い出さなくても、自分の欲求は叶えられるべきである....ああ何と理不尽な決めごとでしょうか。そう決めることが余計に自分をつらく追い詰めるというのに。
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| スピリチュアリティ | 02:30 | comments(0) | -

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