しばらく更新が滞っておりました。申し訳ありません。
少し前の話から、更新を再開します。
9月最後の週末は、月に一度の「NLPマスタープラクティショナーコース」。
テーマは「ビリーフ」でした。
"belief" にはいくつもの訳を充てることができます。
手元の「ジーニアス英和辞典 第4版」を見てみると、「(証拠なく真実と)信じること;確信、意見、初心、信念、考え」「信用、信頼」「信仰、信心」とあり、さらに "belief system" として、「(個人・社会が備えている、善悪に対する)信念・信条体系」という訳があります。
NLPの重要な概念のひとつである「ニューロロジカルレベル」においては、"Values and Beliefs" が4番目に定義されており、日本語では「信念・価値観」と訳されます。
ただし、ここでいう「信念」は、"belief" よりも "belief system"(信念・信条体系)を指していると理解した方がよいように思います....と、辞書を引き直して気がつきました。
閑話休題。
マスターコース2年目ということで、「ビリーフ」も2回目。
じゃあやる内容は全く同じかというとさにあらずで、2日目の最後のワークは今年初めて取り入れられたものでした。
手順をすべて書き上げると長ったらしくなるので割愛しますが、手順の中にこのようなものがありました。
・目標達成へ向けて歩く途上に、(目標達成に抵抗する『自分の中の一部分』が持つ肯定的な意図を満たしてくれる)リソースやメンターがいると想像する。
・そうした上で、再度目標達成へ向けて歩いていくが、その際、リソースを備えた状態や、メンターからの励ましなどを受け取っている状態を体験していく。
私がクライアント役の時、この手順において、思いがけないものが現れました。
それはずばり、「両親」。
この2文字が自分の中....頭の中ではなく、自分の「身体」....から湧いてきたとき、私は思わず「え....」と口に出して驚いてしまいました(観察者役の人もしっかりそれを認めたぐらいです)。が、湧いて出てきたその存在を目標への途上へ置くことには、特に抵抗はありませんでした。
さらに、目標への道を歩き出したとき、確かに両親の存在を感じたのです。「存在」というか「愛情」というか、今でも何と表現すれば正確なのか判らないのですが、ともかくも私は「それ」を受け取ることができたのです。
ワークをすべて終えたあと。
私の中での「両親」は、「私のやること・やりたいことを全部は受け入れられないとしても、私という存在は認めて信じてくれている存在」に変わっていたのでした。
NLPを学び始めて3年近くになりますが、これは私にとっては「革命的」であり、「天地がひっくり返るほどの、信念・価値観の転換」です。
なぜならば、これまでの私にとっての「両親」は、「あまり好ましくないもの。できれば出てきてほしくない、自分の行く手を邪魔するもの」として存在していたものだったからです。