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評価:
伊藤 美海
総合法令出版
¥ 1,470
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「どうして独りで抱え込もうとするの?(気軽に相談してくれればいいのに)」
「自分の感情を隠すことは非常に上手いですね」
最近私が面と向かって言われたフィードバックです。
相手はNLPerでもスピ系の人でもありません。
「あぁ、いろいろと自分の内面を改善すべくいろんな試みをしてきて何年にもなるというのに、まだこんなこと言われるのかぁ」と落ち込む瞬間もありますが、「いやいや、フツーの(ヘンな表現だと判ってはいますが、あえてこう書きます)人間関係の中でこうしたフィードバックが出てくるようになったってことは、そんだけ自分のガードが低くなったってことじゃないか」ととらえることもできる....ムリありすぎですかね?
いずれにせよ、その頻度が高くなっているのは確かなのです。
「これはいよいよ、本腰入れて『今まで閉じっぱなしだった自分の感情や愛情を表に出す』訓練を始めなければならないのかなぁ」
自分にとっては「最大の難関」。
アラフォーまっただ中の私が「もっとも苦手とする」行為。
それが「心の扉を開く」ことです。
冒頭でご紹介した「オープニング・ザ・ハート」は、文字通り「心を開く」ための内面の変化を起こすツールとして使ってみる予定です。
「ヘミシンク(Hemi-Sync)」なる理論に基づいたオーディオ教材ですが、委細は
このページをご覧いただくとして、 何かしらの変化が現れたときには、このブログでご報告するつもりです。
心を開くと無防備になるんじゃないか。
無防備になれば自分が踏みにじられるんじゃないか。
そんなのはイヤだ。だったら壁の奥に閉じこもってしまった方がいい。
# しかし閉じこもりっぱなしなのでひ弱いまんまであることに、
# 当の本人は全く気付いていない....。
これまで生きてきた間に築き上げられてきた「防御の壁」の根本思想はこれです。
ずいぶんマシになってきたと思っていたのですが、よほどこの思想はしつこく私にまとわりついているらしく、今でも日常生活の些細な場面で顔を出します。
人にものを頼みにくい。
人から何かを教わるのは気が引ける。
そんな「キョドる」自分の様子は他人からは見え見えなのに、それでも隠そうと必死になる(きっと滑稽に映っているに違いない)。
人から何かを指摘されると、自分の全人格や存在を否定されたがごとく不安になる。
だったら完璧に物事をこなそうと頑張るかというと、動機が動機(指摘されて不安になるのがイヤなだけ)ですので頑張りきれずボロを出す。
だったらはじめから完璧にやろうなんて思わなくたって(周りに思わせなくたって)いいじゃんと言われて、また自己嫌悪に陥る。
いよいよそこに手を付けねばならんぞと、何かに後押しされている気がします。
もしも「カルマ(業)」という表現を使えるのなら、まさにこれが私のカルマでしょう。
あるいは、今生できっちり完了させるべき「レッスン」と言ってもいいでしょう。
周囲(漠然とした「世の中」)への不信と、それ以上に自分への不信。
この両者を解消すること。
まずは自分へ信頼や愛を与えること。
そして周囲を信じて、自分の内面を開くこと。
言葉で書くと短いし簡単ですが、
私が今も生きている「意味」、目指すべき「境地」は、ここにあります。