|
評価:
---
ウォルトディズニースタジオホームエンターテイメント
¥ 15,392
(2009-05-20)
|
私がハマっているアメリカのドラマ(アメドラ)のひとつに「ゴースト〜天国からのささやき」(以降「ゴースト」と略称)があります。
本国ではシーズン4まで、日本ではシーズン2がオンエア中です。
なぜに「ゴースト」にハマっているのか。
主人公を演じるジェニファー・ラヴ・ヒューイットの美貌(キレイなだけでなく、キュートでお茶目なところ)もいいし、主人公のダンナも画に描いたようないいヤツだし(男の私から見ても、こういうダンナでありたいなと思えますもん)。
しかしそれ以上に私をとらえて離さないのは、「未完了を完了する」プロセスです。
この世に心残りのある死者の霊魂が、主人公・メリンダの霊能力を借りて心残り(=未完了)を解消していく、そうして天へ召されていく....というのがお決まりのストーリー。1話完結なので、ほぼ毎回この筋書きが繰り返されます。
また、霊魂の言葉は、時として心なく生者を傷つけるような恨み言だったりもするのですが、メリンダはその言葉をそのまま生者に伝えるようなことはせず(霊魂の言葉はメリンダにしか聞こえない設定です)、言葉の奥にある本当の気持ち(=[肯定的]意図)を汲みとって聖者に伝えています。それもお見事と言えます。
で、見ていて思うのは、霊魂の側に心残りがあるのはもちろんですが、残された生者の方にも心残りがあるということ。
そして、心残りが解消できるのは、お互いが「真実」....隠れていた事実であったり、心の奥底にあって伝えられずにいた感情....を表に出し、交わしあえたときだということです。
そしてそれは、死者と生者の間よりも、生けるもの同士において、もっと重要だといえるのです。
会社での呑み会にて。
後輩がとうとうと愚痴を並べ立てています。
愚痴の対象は、過日辞めていった先輩社員。曰く「自分をキチンと育ててくれなかった」「あの人がいたせいでものすごくやりにくかった」などなど。
酒の勢いもあったのでしょうが、かなりキツい言葉が並んでいました。委細は覚えちゃいませんが、とにかくネガティブなメッセージと執着度の高い居姿だったことは印象に残っています。
まるで、ネガティブな状態をわざわざ自分の中に沸き立て直しているかのようでした。
どうして人は、このように「不幸を再生産」したり「不平不満を中毒する」のでしょう?
そうすることで何を得ているのでしょう?
あえて乱暴に言い切るならば、「その方がラクチン」だからです。
また、「自分が偉いと思える」からです。
自分に責任がないとしてしまえば、自分の身に降りかかることすべてを他者の責任にしてしまえます。
「自分にいい仕事が回ってこないのは、○○がいるせいだ」
「自分にいい彼/彼女が現れないのは、世間に見る目がないせいだ」
「自分がいつまでも貧乏なままでいるのは、政治家や大企業が私腹を肥やしているせいだ」
自分は何もしない、少しでも変えようというアクションをとらない。なぜならば自分を傷つけずに済むから。自分と向き合わずに済むから。
また、不幸にしがみつく自分を慰め愛おしむために必要なものは何かと言えば、「自分は犠牲者であり、その状態に居続けてやる」といった感情ですよ。
「自分がこういう仕事に身をやつしているから....」
「自分は独りでも何にも困らないし....」
「自分はこれだけの稼ぎで我慢してるんだ....」
言い換えれば「自虐的」とか「負け犬根性」とも呼べるものです。
あるいは、逆もあります。
すべてを自分のせいにしてしまえば、他者と向き合うことをせずに済みます。
私個人はこの傾向が強いのでよく判るのですが、精神的に(時には物理的にも)引きこもることで、「自責」「贖罪」を演じることがあります。
しかし結局は、自分をそのような状態に止め置いているだけの話です。自己否定を再生産し、自虐中毒に浸ることでしかありません。
先の呑み会の後、私は後輩に対して何も言う機会を得られないまま家路についたのですが、ただこういう風には思っていました。
「その先輩への執着を手放さなければ、一歩も前へ進めないんじゃないの?」
「彼(後輩)は、何を求めていたのだろう? 表面的なサポートももちろんだが、その裏で求めていたのは?」
諦めでも投げ出しでもなく、終わったことは終わったとそっと手を離す。
相手への期待は自分の感情であり、コントロールできるのは自分しかいない(相手が期待に応えてくれるという期待を手放す必要がある)と自覚する。
そして、それまでに経験してきた「事実」と向き合う。
本当に、相手は自分に対して何もしなかったのか。
自分の望む姿ではなかったにしても、何かは伝えてくれたのではなかったか。
さらに言えば、その「何か」に潜むメッセージは何だったのか。
可能であればお互いが素直にその辺を話し合えればいいですし、もはやそれが不可能なのであれば、せめて自分の心の中だけでもケリをつけるようにもっていければいい。
相手への恨み辛みを百万言並べ立て続けるよりは、ずっと前向きな生き方ではないでしょうか。