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評価:
エックハルト・トール
サンマーク出版
¥ 2,310
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太平洋の向こうは、"CHANGE" "Yes, We Can" を旗印に掲げた大統領の時代になりました。
全世界を通して決して順風満帆とはいえない状況ですが、国民に希望と覚悟を同時に伝えることができるリーダーを持ったあの国は、それだけでもうらやましいと思えます。
対して極東の我が国ではどうでしょうか。
世間話のレベルで「変わってほしいよねぇ」と曰う人たちの本心は、「自分が変えられるとは思ってませんからーーーーー!」なのです。
リスクを負いたくない、幻滅はもうたくさんだと思っている人もいるでしょう。
それらを自覚できている人はまだ幸いです。
多くの、日本社会で生きている人たちは、自分たちに「世界を変えられる力がある」なんて、つゆとも思っていませんし、自分たちが無力さや失望や幻滅で染め抜かれているなどとも思ってはいません。
すべては「与えられるもの」であり、それにひれ伏して生きるしかないと思っているのです....というか、正確には「思うようになる」なのですけれど。
では、逆に「世の中は自分たちの思うように変えられる」「あらゆる物や人は自分の思い通りに利用できる」と信じる向きはどうでしょうか。
これもまた「違うよなぁ」と思いますよね。
なぜならば、そうやって生きてきたツケを、近いうちに払わねばならないと判ってきたからです。
温暖化に代表されるような環境の激変や不安定さ、複雑になりすぎて収拾つかなくなった経済活動、それらを前にしてどうしていいかわからずおろおろする人々。
すべては、己が力を過信し、己が我が儘を通しすぎたことの、当然の帰結です。自分の分をわきまえずに振る舞い、後始末を環境や他人に任せて生きてきたがために、自分でこしらえた混乱をどう整理していいのかも判らなければ、とにかくの一歩を踏み出す勇気も呼び起こせないのです。
じゃあ、この国で生きる(私を含めた)人々に未来はないのかと。
決してそんなことはありません。
自分たちの所行とそれを生み出させるものの正体に気づけば(自覚=自ら目覚めることができれば)、それだけでも世の流れを変える助けになります。
それは何なのか。
顕在意識としての「自分」。自分が「自分」だと思い込んでいるものです。
もう少し詳しく言うならば、「自分はああなりたい(なりたくない)」「自分はこうしたい(したくない)」という「心の声(内的会話)」です。
それらは自分の中から沸いて出るようにみえて、実はどこかの誰かさんから繰り返し聞かされてきた膨大なメッセージの積み重ねです。
狭くは家庭にて、広くは地域や国家レベルで繰り返し伝えられる、「こうであるべし(あるべからず)」「ああすべし(すべからず)」といった信念や価値観であり、行動を決める際の基準です。
我々は、それらを(疑ったり拒絶したりという態度ではなく)自ら精査する....是非をいったん脇に置いて、冷静に受け止めてみることすら、その必要性すらきちんと教わらずに歳月を重ねてきました。
それを改める時期が来ているのではないでしょうか。
自分の、自分たちの行動(行動「しない」という行動も含めて)を決めているのは、心の中のどのような声なのか。
自分に聞かせ、自分たちで伝え合っているそのような声とどのように向き合うのか。是として選び取るのか、非として手放していくのか。
いずれにせよ、自分(心と身体)ときちんと向き合い、それが伝えてくれるメッセージにきちんと耳を傾けることが必要ですし、そのための余裕(時間と空間)が必要です。
自らが意図してそれらを確保するようにしなければなりませんし、自分の周りの人がそうするのを受け入れるようにしなければなりません。
このように、自らを顕在的/潜在的に動かすものの正体に気づく機会を設け、その結果、気づきを得ることができれば、今度はそれらに対して「自分はどういう態度を選び取るか」を主体的に決めることができるようになります。
その可能性を得られたというだけで、人の心には「安心」「自信」の類が蘇ってきます。別の人はそれを「癒し」と呼ぶかもしれません(ジェラルド・G・ジャンポルスキー氏の提唱する "Attitudinal Healing" の主旨は、おそらくこの辺にあるのでしょう)。
今、本屋さんの精神世界系のコーナーでは、「目覚め」「悟り」「ゆるし」といった類の本を多く見ることができますが、共通して訴えているのは、上記のようなメッセージです。
これらを、特別な人だけが行うもの=自分には縁のない世界の話と素通りするのではなく、我々のような凡人にこそ求められているのだと、受け止めてほしいのです。
一方で、数年前に比べて、これらのコーナーに立ち止まる人が明らかに増えています。
ということは、無意識のレベルでは、大衆は「目覚め」「悟り」「ゆるし」を自ら模索し始めているのかもしれません。
あとは、そのような無意識レベルの "CHANGE" を呼び覚ますことのできるリーダーが現れるかどうか。
あるいは「現れるのを待つ」のではなく、自らが自らのできる範囲での "CHANGE" を起こせるリーダーになると決める(コミットする)人がどれだけ現れるのか。
人類の未来は、その辺にかかっているような気がします。